自己満ブログ

死神に取り憑かれた何か

夜郎自大

幼少期、ここは平面世界で、私の目に映る人間には魂というものが入っておらず、全部が私の知覚的な幻想、私以外の生き物は全部、意識も感情ももたない、ただ動くだけのゾンビなんだと思っていた。特に自分と全く異なる境遇にいるゾンビは、私を惑わすために存在する悪魔で、時には家族ですらそのように見えていた。自分の意識、経験が全てで、私は自分一人だけ特別な人間だと思っていた。プレイヤーが幼い頃は、このゲームを自分なりに楽しめた。

行ったことのない場所で起きた交通事故のニュースを見たり、遠くで吠える犬の鳴き声を聞く度、「これらは全部私のために起こっている」と信じて疑わなかった。近所のよく食べに行っていた飲食店が潰れた時も、きっとここで働いていた従業員や他の客は誰一人困らない、ショックを受けるのはいつも私だけだと思っていた。

秋の庭の木陰でカマキリが交尾をしているのを見た時のこと。触覚を動かし何かコミュニケーションをとる様子を見せた後、雄が雌の上に乗り、雌が体を揺らしながらお腹を動かしているのに終始見蕩れていた。すると雄がそのお腹を後脚で叩くような仕草をしていたのを見て、「これは雌に'頑張れ'といって励ましているんだね」と自分の解釈を近くにいた父親に話した。父親はそんな私を「よく知ってるね!」と褒めた。

大人向けのクイズ番組を見ていて、勘で答えた問題がたまたま正解した時も、異常なほど褒められた。

祖父も、私が描いたそれほど似ていない何かのアニメキャラクターの絵を「とても上手い」と褒めてくれた。幼稚園で痛い目に遭うことが多かったため、私は祖父とのごっこ遊びでストレスを解消していた。それでも祖父は私の行動を何一つ否定しなかった。

小学校低学年くらいだったと思う。この世には天才と呼ばれる人間がいることを知った。天才は何もしなくても褒められる人間だと勝手に思っていた私は、自分を天才なのだと決めつけ驕り高ぶっていた。

学習面では周りよりも九九を覚えるのが早かったり、他の女子よりも昆虫の名前を少し知っていたりした。大して力を入れなかった硬筆や、テキトーに描いた絵が表彰された時も、自分は運がよい、何をしても成功する、「才能」があると過信していた。

それを恨む人間が現れても、クラスメイトに痛いことをされても、親にその旨を連絡帳に書いてもらい、担任に提出すれば、担任が彼女達を上手に叱ってくれ、彼女達はへこたれてこちらに謝りに来るので、私が勝たない勝負はないと、私の心が傷つくことは少なかった。クラスメイトにつけられた手の傷を家族に見せながら「これは敗者の嫉妬なんだ」と自慢した。

勉強面でもあまり苦労を知らずに中学までは突破できた。時に周囲を見渡して劣等感を感じたり、クラスメイトに馬鹿にされたりすることがあっても、自分は今、悲劇のヒロインを演じる時なんだと信じることでメンタルを保っていたのかもしれない。

最近になって、これは幼い頃に受けた小さい甘やかしから派生した誤解だったのではと思う。心のどこかで自分は欠陥品なのではないかと疑っていたため、自分に良くしてくれる人達の存在に踊らされて取り返しのつかないほど調子に乗ってしまったのだろうか。

思春期を過ぎ、高校に進学すると、自分よりも褒められている人間が沢山いるのを見た。自分が幼き頃から思い描いていた未来は訪れること無く、初めて自分の人生の闇が始まったような感覚に陥った。それからは己の存在意義ばかり考えるようになった。自分の軸を探すようになった。数字にしか興味がなくなった。もしかすると自分の今までの意識は間違だったのではないか、"この世には私しか生きていない説"は幻想であったのだろうかと考えるようになった。正に井の中の蛙。この頃から、自虐の快感を覚えた。私は堕落した。

今、実際にどこかで誰かが、ちゃんと交通事故で痛い目にあったり、職場が潰れてショックを受けたり、犬に吠えられたりしているのだろうか?恥ずかしながら今でも「他我」というものを意識することは珍しい。しかし、自分の精神衛生のためには、そろそろこの呪いから解かれた方がよさそうだ。

 

普段は気づかないが、寝る前とかにふと心に空いた穴の存在を思い出してしまう

その大きさに自分でも吃驚することがある

痛みを痛みだ と思わなくなったせいか、全然痛くはないけれど

2011年の振り返り

当時中三だった私は、まだスマートフォンを持っていなかった。その時期、「うごくメモ帳」というニンテンドーDSIのサービスを日記代わりに使っていた事がある。

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ある日このDSIのカメラを使って、窓掃除のbefore & after 的な写真を撮ったのがきっかけで、その年から窓掃除をする度にDSIカメラを起動し、特に目的もなくbefore & afterを撮るようになっていた。今年も態々充電器を探し出してまで撮りました。

 

 

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掃除が終わり暇だったため、少し過去の日記を読んでみた。今と変わらず拙い文で、その日その日の出来事や感情などを殴り書きしているだけだった。読んでいて今の私と違うと思ったのは、当時は思春期というのもあってか感情が豊かだったことと、思ったことをそれなりの表現の仕方で素直に書き記せていたことだった。今はどちらかといえば見た目だとか形式ばかり拘ってしまい、素直に文章を書くのが苦手になっていた。

 

2011年の正月、中学二年の終わり頃はルービックキューブにハマっていたらしい。漢検を初めて受けたのもこの頃だった。しっかり計画を立てて、しかも夢中になって勉強出来ていた。この頃の自分はまだ偉かった。忙しくて多少イライラしていたっぽいが。

2月はドラマにハマっていたそうだ。ある日さわやか相談室に行った時、カウンセラーの先生に「なんのドラマを見ているの?」と聞かれ、少し闇の深いドラマの名前(実際に好きでハマっていたので)を言ったら、反応に困ったのか苦笑いをされたのを思い出した。

3月は、新しいクラスがどうなるのかドキドキワクワクしていた。ある休み時間にクラスの男子が私の机に座ってたりすると、担任の先生が私を気遣って、その男子を大声で叱ったので、なんとなく居心地が悪かった。自己嫌悪が激しかった。

3月11日の昼過ぎに大きな地震が発生した。帰りの会の開始時だった。私は大きくても震度4位しか体験したことがなかったので当時は少し怖かった。特に家に帰ってテレビをつけて東北の悲惨な映像を見た時の衝撃は今でも覚えている。

生暖かい4月、クラス替えをしたときになんとなく雰囲気に違和感があった。受験生ということもあり勉強へのプレッシャーが多少あった。

5月はとにかくボーッとして過ごしていた。部活も殆どサボっていた。新一年生に元気な子達が入ってきたのが気に入らなかったのかもしれない。

6月にようやく部活を引退した。ひとつ重荷が減り、気分も次第に穏やかになっていった。

"部活動では特に「忍耐力を学んだ」"

と書いてある。最後には

"終わりがあるものって最初から大切にしておいた方が良いと思う。その方が後になって絶対後悔しないと思った。"

などと綺麗にまとめている。

夏休みの最初の方は涼しくイイ感じに勉強を進められていたが、後半はやる気がなくなり半日くらい寝ていた日もあったらしい。

9月の体育祭、クラスの輪に入ることは出来なかったが、「団結力」やら「感謝」について煩く語っていた。

10月の合唱祭は、結果に納得出来なかったらしい。個人的には他クラスの曲が気に入っていたので、自分のクラスが優勝したという結果に不満だったらしい。ろくに歌ってもない奴が何言ってんだ。って感じだ。

11月から12月頃は自己嫌悪が激しく体調を崩すことが多かった。不登校にもなりかけていたらしい。覚えてないが。

"過去は変えられないんだし、いつまでも執着してたって変われないだけ。だから、決めたことはきちんとやって、いつも前向きでいられるようにする!!絶対、後悔しないと思うから。"

中三の今頃の言葉。何を根拠に言っているのか全くわからない。

日記を読んでると、この頃からインターネットで何とかして同級生のブログやらTwitterやらを覗いている相変わらず暇人な自分が蘇ってきた。友達がいない割には、誰が何を言っていたとか、何をしていたとか、他人の言動を全て吸収して馬鹿みたいに妄想を膨らませていた。今ここに流れている時間ではなく、今この瞬間ここではない何処かの誰かの元に流れている時間のことばかり気にしていた。とにかく他人のことしか頭になかった。他人の文章、使う絵文字、全て真似をしていた。他人になりたくてなりたくて仕方なかったのだろうか。

2011年の今頃、私でない誰かは『彼氏をつくる』という目標を決めていた。『1人でも多くの人にありがとうと言われる』という人もいた。それを見て、私は私なりに『前向き主義』という目標を立てていた。

"高校になったら何部に入ろうかな?

自分とは縁がなさそうなバスケ部とか?

カッコイイし。それか、体力つけるためにテニスとか、陸上とか。

なんでもいいや。そして入ったら本気でやる!"

と。

この頃から未来に期待する自分になっていた。周囲の人にも期待していた。

結果的に期待が叶うことはなかった。

それでも未来に、周囲に期待し続けた。

それは今でも全く変わっていない。

 

"2012年になったら、見栄を張る(べつに張りたいわけじゃないし、そんなつもりでもない)自分とはさっさと別れて、、。誘惑に負けず、堂々とする。"

 

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2012年の目標。

 

「2012年になったら」どころか2018年もこれが実現することは無かった。

2019年はどうだろうか?

 

 

 

 

自己欺瞞

中途半端な努力しかしてこなかった。

そんなの努力と言えるのだろうか?ただ「自分は努力した」と思うことで逃げてるのではないか。全部がただの自己満足ではないか。

なんのために生きてるのかわからない?

そもそも「なんのため」とか、答えが出ないと分かってるような問題ばかり考えて続けている。暇さえあればいつも。思い返せば、物心ついた時から、答えのあるようなないような、そんなくだらないことばかり考えてる。

誰かと目が合う度に、自分の心の中を覗かれているような気がして怖い。

どうしてそんなことが怖いのだろうか。見えるはずのない人の視線が痛いと言ったり、変化が欲しいと言いつつ変化を恐れたり、あるはずもない正解ばかり探している。正解と言うより、ただ言い訳を探してるだけかも知れない。

初対面の人間に、「真面目で」「素直だ」「大人しい」と言われる。

ちっとも嬉しくない。真面目になりたい・素直になりたい・大人しくなりたいと、思うことはある。誰かが見る自分と、私の知る自分が一致したい。人から何かを言われても嬉しさというのを微塵も感じない。

自分自身の心で思えるようになりたい。

そう自分に問いかける。しかし自分が自分を褒めるなんて馬鹿みたいだ。と、捻くねる自分がいる。そもそも、自分とは誰なのだろうか。自分という生き物の真の姿とは何か。どう認識したらよいのだろうか。

日に日に孤独感ばかり深くなっていく。

 

無気力人間

感情を言葉に出来ない。吐き出せない。吐き出せる場所が見つけられない。

言葉に出したら違う気がする。違ったら負けな気がする。恥ずかしい気がする。

毎日毎日、他人と視点をずらして、傷に触れないように脳を誤魔化し続けては疲労が溜まるだけ。

こんな現実を見てどう感じてるのか、何を目指したかったのか、何を後悔してるのか、今まで何を考えて生きてきたのか、どうやって答えを出してきたのか、その手段は

何も思い出せない。記憶が無い。生きてきたという実感が無い。

自分が何考えているのかさっぱり分からない。何が正解で何が間違ってるとか、何が好きで何が嫌いとか、自分の思考や決断にいちいち自信が無い。いつもテキトーな理屈をこじつけては曖昧な結論しか出せない。

自力で解決しようともしない。したいけどしたくない。そもそも出来ない。気力がない。全てがだるい。何をしても、誰といても疲れる。

自分の欲望、欲求、感情が分からない。ただ毎日が過ぎていくのを感じては気分が疲弊するだけ。考えてるようでなんも考えていない。頭がどうかしてる。わたしは何もない。空っぽな人間。

こんなわたしをみて可哀想だと思わないでほしい。そんな安い単語で表せるような人間がいたならば、全力で軽蔑してやる。

 

散歩

約半年ぶりに祖父と散歩に行った。太陽が西に傾いてしまってからだったので長い時間ではなかったが、いい運動にはなった。土手道で犬の散歩をしている老夫婦とか、明日にも枯れそうなコスモスとか、暗くなっても公園で走り回る子供たちとか、外に出なければこういう一つ一つの存在も知ることがなかったんだと思うと、それなりの収穫があったなと思う。自分は死ぬまでにあと何回散歩に行くか、明日変わってしまうかもしれないこの景色があと何回見られるかなんて馬鹿みたいなことを考えていたら、なんだか無限に生きていたいと思ってしまった。そしてまた明日から長い一週間が始まるんだなと思い出して、夕陽と共に消えたくなった。

 

 

寸鉄殺人

些細な言葉ひとつで人は死んだりする。それはそこにある棘が原因だ。その殺人が加害者の意図的なものならば、加害者はその棘を見ることが出来る。被害者は棘が刺さってから漸く気づくのである。

しかし、'加害者が無自覚'の棘の場合、被害者もそれが刺さってから気づくので、相手に'ここに刺さっている棘の存在'を教えてあげることしか、相手に気づいてもらう方法がない。

まあ、相手に教えてあげることが出来た頃には、既に棘が刺さってしまっている状況なのだけれど。言葉の棘は、刺さってから しか分からない。どっち道、棘は刺さるのだ。

ぶどう糖

ドラックストアで買ったぶどう糖95%ラムネを食べた。スーパーのお菓子売り場で売ってるぶどう糖90%のラムネは食べたことあったけど、95%のは初めてだった。

今日は行きも帰りも雨が降っていていつもに増して憂鬱な気分だった。さらに帰宅途中、やりかけの仕事が残っていたのを思い出して億劫になりながら職場戻った。いつもなら帰宅してるくらいの時間に再び職場着いて、中途半端になってた仕事を済ませてとりあえずホッとした。二度目の帰路につく頃は雨も止んでて、このままただ帰るのも虚しいなと思って近くにあった薬局に入ってこれを見かけたんだ。

ぶどう糖は疲れが癒えるとか、鬱が解消するとか、集中力が上がるっていう記事を前に読んだ。これはプラシーボ効果とかではなく生化学的にそうらしい。わたしはなんでも鵜呑みにしてしまう人間なのでそこで紹介されてた森永のぶどう糖90%のラムネを早速大人買いして食べまくってた。のを思い出した。しかし本当に疲れが癒えたとか鬱が解消したというためしはない。

が、まだどこかで期待してしまってる自分がいた。さっき完食したけど別にいつも通りの虚無感だ。まだパッションが足りんのだろうか。味はとりあえず美味しかった。

無感情

自分のスタミナの無さを感じる。半日週三でもキツいと感じてた清掃のバイトを辞めてから初めての、フルタイムの五連勤を終えた。

昨晩は仕事のあと、親と祖父母に連れられて地元の花火大会を見に行った。やはりワイワイしてる人が多かったが年配の夫婦なども結構いた。帰ってきたら疲れの為か夕飯中に寝落ちしてしまい、夜中2時頃に起きて歯磨きだけ済ませて、そのまま夕方まで寝てた。夢の中で夢を見て、さらにそれも夢だったりして、起きた時は何が何だか分からなかった。綺麗な花火を見たのも夢だったかと疑ったが、カメラロールに写真があったから夢ではなかった。そして頭がぼんやりしたまま買い物に行った。明日からまた仕事だと気づいて、生きてるなぁと感じた。

身体的な疲れが著しく、疲れたとか、しんどいとか、頭で考えている余裕がない。無感情になってるだけかもしれないが。辛かったとか、楽しかったとかいう感情は何だか夢の中の話のように遠く感じる。何も感じないのはいいことだと思うが、ただ生かされてるだけの都合のいい傀儡にはなりたくない。

いつかこのまま眠るように死ねたらいいなとは思った。

 

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派遣バイト終了

7月に始めた掃除のバイトを今日辞めた。というか終えた。ちゃんと綺麗にゴールした。

正直、潔癖症気味の僕には向いてない仕事だった。初日に仕事を教えてもらっていた時から、無理だと直感してた。もしも応募する前に戻れたなら絶対にこんなバイト応募しないと思った。まだ飲食店の汚さの方が慣れていると思った。とにかく今すぐこのバイトは辞めたいと思った。けどそれは自分のプライドが許せないから短くても3ヶ月は続ける気でなんとか息を止めながら頑張った。何回か寝坊して無断欠勤したり、コミュニケーションが出来なかったりで結局周りの雰囲気に馴染むことは出来なかったが、ここでは別にそういうのは期待してなかったし、終始 無感情だった。無言かつ自分のペースで仕事ができたのはよかった。しかし隅々まできっちりやると余裕で残業になってしまうし、時間内に終わらせると手を抜いたのではと疑われるしで、その変が少し厄介だった。午前中で終わるのは有難かった。なんだかんだ職場の人たちも良い人だった。飲み物とかお菓子とかお裾分けをくれた日もあったし。一期一会だなぁと思った。そして今日終わってきた。少しだけ肩の荷が下りた感じがする。またすぐに新しい仕事始まるけど…

やっぱり仕事はめんどくさい。もっと自分が満足できる楽しい仕事がしたい。楽しい仕事ってなんだろう。

とりあえずお疲れ様でした。

疑心暗鬼

恋愛感情って言うのか分かりませんが、なんとなく私も人間に興味を持ってた時期が幾らかあって、覚えてる限りですが、その時のことでも。それと高校時代のちょっとした黒歴史

まず、覚えてる限りでは幼稚園の時。(先に断っておくがこれは無理やり記憶から引っ張り出したどうでもいい話)

自分の幼稚園は年長が2クラスで、緑の帽子と紫の帽子のクラスがあり、自分は緑の帽子のクラスだった。となりの紫の帽子のクラスに、自分より身長がやや低めの、Sくんという活発な男の子がいて、自分はそのSくんのことが好きだったらしい。「らしい」って言うのは、今では全くそういう感情を持った覚えがないから。ある日帰りの会が終わって、園庭で親のお迎えが来るのを待機してる、ザワザワとした時間に、同じクラスの女子共が、「〇〇(自分)ちゃんが、Sくんのこと好きなんだって~」と園庭で言いふらしていたのをうっすらと覚えているってだけ。自分は抗えずに黙っていた。別に嫌な気分になったりはしなかった。まるで他人事のように、その女子共が面白そうに叫んでいるのを聞いていただけだった。正直どうでもよかった。すると、園児の群集の中からSくんが突然私の前に現れて 「なあ、お前、俺のこと好きなのか?」と、私の園服のボタンを触りながら得意げに聞いてきた。何度聞かれてもノーリアクションを貫いていたので、やがて飽きられ、その噂はすぐに消滅した。その頃の私は「好き」という感情を「相手を特別視する」ことだと自分なりに思っていたが、Sくんは特別当てはまらなかった。なぜそんな噂が広まったのかというと、多分「〇〇(自分)は幼稚園に好きな子いないの?」と、親か先生かなんかに聞かれた時に、好きな子がいるのが普通の子供なんだ、と思いこみ適当に「Sくん」と答えたんだと思う。だとしたらSくんにかなり申し訳なかった。(因みにそのSくんとは小学校が離れ中学校で再会したがSくんが当時のことを覚えているような雰囲気は全くなかった。)自分が今になって、幼稚園の頃の「テキトーに作り上げた好きな人」とのことを何故にこんなに覚えてるのかと聞かれたら、多分昔から人に興味が無く 人と関わってこなかったから、こういうつまらない出来事を「思い出」とか「初恋」といって時々思い出しているからだと思う。覚えているのは多分自分だけ。(苦笑い)

次に小学2年の時。隣のクラス(2組)に小柄の女の子Aちゃんがいた。Aちゃんの事は1年の頃から知っていた。高めのツインテールが特徴で性格は大人しめだった。初めてコミュニケーションをとったのは小学2年のある日。その子は休み時間になるとよく、仲のいい女の子達と校庭にある鉄棒のあたりで遊んでいた。自分は彼女と別のクラス(1組)だったのでAちゃんについては顔と名前くらいしか知らなかった。とにかく顔と名前が合致して、可愛くて、なぜか当時の自分はAちゃんの名前を見ただけで心が踊る程だった。集会の時、廊下ですれ違う時、いつもAちゃんだけが視界の中ではっきり見えていた。私は家ではよく人の顔の絵を書いたり、自由帳を破って絵本を作ったりしていたが、もちろん主人公は自分とAちゃんだった。最終的に何十冊にもなるその物語の中のように、私とAちゃんが仲良くなれることは無いと承知してはいたが、その妄想だけでも十分楽しかった。この頃から妄想癖があったんだなと思うと少し恐ろしい。ある日の休み時間、私はAちゃんに近づいて鉄棒で遊んでみた。恐らくAちゃんのクラスは次の授業が体育で、鉄棒をやるらしい。授業開始の5分前を過ぎても、何故か私は教室に戻らずにいた。

「もうすぐ授業始まるよ。 1組、教室に戻らなくていいの?」

生まれたての天使のような声が静かに響いた。なんと私の目の前に、なんの緊張感もなく、まるで友達に話しているかのように純粋な疑問をぶつけてくるAちゃんがいた。暫し私は絵本の中の世界だと錯覚した。それは狙い通りだったような、奇跡のような、不思議な情景だった。ここで素直に教室に戻ってしまったら、物語は呆気なく終わってしまう。このチャンスを逃すわけには行かない。クラスが違うため私の情報を全くと言っていいほど知らないAちゃんは、きっと私が喋っても驚かない。そう知っていた私は

「え?2組?」

と惚(とぼ)けた風に返していた。(同じクラスの人にはこんなこと言ったりできない。)この邪な返答は傍から見れば気持ちが悪く、仮に自分が男子だったら、すぐさま噂になると悟った。一瞬だけ自分が犯罪者になったような罪深い気持ちになっていた。すると、そんなことに気づく筈のない現実のAちゃんが、私のしらばっくれた演技を察知し「1組だってば!」と反射的に笑っていた。初めて心を通わせた素直な喜びと、純粋なリアクションが返ってきたことに安堵感を覚えた。そのあとのことは覚えていない。その後もただそのシーンが私の脳内で何百回も再生され続けた。案の定、次の授業に遅刻して先生に怒られたのは恥ずかしかったが、Aちゃんと話せた日は、一日中気分がウキウキしてた。家に帰ってもそのことばかり考えていた。人と話すのってこんなにウキウキするものなのか。Aちゃんと友達になれたらいいのに、と思っていた。ちなみにAちゃんとは4年次でやっと同じクラスになった。しかしその頃になると、自分は緘黙が酷くなり、学校で孤立して、結局Aちゃんと友達になることが出来なかった。残念。

同じく小学2年の時。親と近所の人達で、小規模な祭りに行った時に出くわしてしまったTくんというクラスメイトの男子。自分は学校では猫をかぶっていて、特定の人以外とは話すことが出来ず、家とは全く別人のような性格だった。当時は「猫をかぶること=悪いこと」で、自分が学校では悪いことをしていると思い込んでいた。(実際は猫かぶりではなく、場面緘黙という症状だったことを後で知った)。学校では、クラスメイトから「喋ってみて」とか、「家では話せるんでしょ」など嫌になるほど問いかけられていた。皆が私を白眼視した。私は学校に居る時の私が嫌いだった。そんな私の存在を親の前で暴かれてしまったら自分の立場が無くなる。これが理由で、小学生くらいの頃は家族と一緒にショッピングモールなどに行くことを躊躇っていた。家族と居る時にクラスメイトを見つけると、反射的に心臓が爆発しそうになって、毎回急いでその場から逃げていた。無論、学校行事や授業参観なんかも同じだ。常に人目を憚っていた。本当はこの祭りにも行きたくなかったが、行きたがるのが普通の子供だ、と渋々連れていかれたのだ。だから、Tくんやクラスメイトの男子を近くで目撃してしまったこの時の心境は最悪だった。もしかしたら何かの拍子で陽気な性格のTくんが、親の前で「私が嫌いな私」についてさらっと喋ってしまうのではいかと不安が募り、喉が詰まりそうになった。しかし、意外にもTくんは'よくできた'子供だった。私を見つけても、私の親と話しても、この地雷に触れてくることはなかった。親や近所の人に暴いたりはしなかった。それどころか、学校でほかの女子達に接しているような、(いい意味で)粗雑な態度で私に接してくれた。親の前で悪事を働かせ、自分に注目を集めるのに夢中になっていた。特別私に触れてこなかったところは、単純に興味がなかったのか、優しさなのかわからない。恐らく単純に興味がなかったのだと思う。でも当時は、そんなTくんを優しい人だと思っていた。気づいたらクラスの数名が集まって鬼ごっこが始まっていた。私が祭りで買っていた「吹き戻し」という玩具を使って。記憶がぼんやりしているが、確かそこで私も一緒に遊んでいた気がする。その時自分が喋れていたかは忘れたが、沢山笑えていたとは思う。こんなこと、小学生の子供ならよくある日常なんだと思う。しかし私にとっては学校で出来ないことが出来た、大袈裟に言うと夢のようで幸せな時間だったと思う。それから学校でTくんを気にかけるようになった気がする。席替えで隣の席になった時は、Tくんには申し訳ないけど心の中でガッツポーズしてた。勿論あの出来事があった日から一過性の感情で、高学年になる頃にはどうでもよくなってたな。

小学4年の頃。3つ下の学年に、おとぎ話に出てきそうな可愛い女の子がいた。低学年の頃のAちゃんの時のように、その子に一目惚れしていた。その子が視界に入るといつも目で追ったり、一時期は髪型や服装などを真似したりしたこともある。低学年の頃同様、家に帰ると速攻で自由帳を取り出し、また毒気のある絵を書くようになった。勉強机の鍵がかかっている引き出しに妄想の紙片が溜まって行った。ある時なんか、拉致って家に連れて帰ってしまいたいとか、家でその子の絵を一日中描き続けるとか、思い返せば少し戦慄するようなことを考えていたが、自分の惨めさを再認識してしまう気がするので割愛。

人は人に興味を持つことから始まり、話しかけて、遊んで、仲良くなって、友達になっていくんだと思う。でも私は実際に、子供の頃興味を持った人と友達になれた試しは一度もない。なんなら話しかけることが出来たこともない。

それでも小学校の頃は、わりと他人に興味があったのだと思う。公立の中学に入って少しでも多くの友達を作りたいと思っていたが、結局誰とも話せず友達はできなかった。初めのうちは話しかけてくれる子や、手を差し伸べてくれる子がいても、喋れないためにその期待を裏切ってばかりだった。性別関係なく友達がほしくて仕方なかった。中学生になると周りに幾つかのカップルが出来たりしていた。恋人ができる人は積極的に感情を吐き出せる人、中には他人の欠点を馬鹿にしたり囃し立てたりするようなタイプの人が多かった。そういう人達を見ているうちに、自分には叶えられるようなものでは無いと絶望を感じた。自分はただ興味がある人を静かに見ているのが一番しっくり来た。

この頃から高校デビューという言葉が私の中で流行っていた。それは必ず成功するものだと思い込んでいた。そのため、高校生という肩書きが貰えることに正直期待しすぎていたところもあった。しかし、入学式の時点で身体がカチカチになっていた自分は、中学までと同様に変わることが出来ないと確信してしまった。カップルを見て羨ましいと思ったことは何度もあるが、友達も作れない自分が自分のままそうなりたいと思ったことは無い。

ここでひとつ黒歴史を語る。高三の終わり頃、同じ理数科だった男子kくんからメアドを聞かれたことがある。kくんは少しナルシストが入っており自称「理系一頭がいい」男子で、いつも地味な男子達と、数学の話で盛り上がっているような人だった。時々二次元の話なんかもしていた。教室は狭く、私の周りの席はほとんど男子だったので、身動きが取れない地獄のような休み時間だった。いつも通り退屈な昼休みを過ごしていたある日のことだった。クラスの女子達が遠くの方で仲良く弁当を食べている中、私はいつも通り窓際の席で、勉強か読書かなんかして時間を潰していた(体勢だけ)。それは11月の半ば、1度も話したことがなかったkくんが、いきなり私の席の前に来て、私の名前を不自然に3回くらい呼んだ。その後、ぎこちなくメアドを交換してほしいと言った。私は余計な視線を避けたいがために、さっさとこの状況を終わらせようと、よく分からないままメアドを教えた。帰宅してから早速kくんからメールが届いた。「一応名前教えておく」と、名前を教えられることからはじまった。私は比較的人の名前に興味があって、クラスメイトの名前くらい把握していた。もちろん彼の名前もとっくに知っていたので軽い不信感を抱いた。そして最終的にご飯に誘われた。私は学校で、誰かに話しかけられるという経験を殆どしたことが無かったので、どう接していいか分からない不安と、どうせ引かれてしまうだろうと思い込み、考えただけで疲弊した。

翌日、約束通り一緒に帰り、駅前で一緒にご飯を食べた。彼は、私の目の前で美味しそうにご飯を食べながら、過去の人間関係とか恋愛事情などを話していた。その話には意外な人の名前が沢山出てきて興味深かった。私の知らない所であんな人やこんな人が色んな人間関係をしているんだなと、その時初めて知った。人とご飯を食べるのに慣れていない私は、あまり食べられなかった。そのせいか、「俺が全部出すよ」と、kくんは当たり前のように1人で先にお会計をしてしまった。お礼を言うタイミングが掴めず、言えなかったのが心残りだった。そんなこと忘れたかのように、kくんは次の日も一緒に帰ってくれた。帰ってる途中、kくんは急に真剣な表情になり、「もしよかったら、俺と付き合わない?」と言った。一年の頃から'ガリ勉'で有名だった彼は、性格も真面目そうで、まるで勉強が恋人のような人だと失礼ながら思っていたし、私も私で見た目も性格も成績も、何もかも落ちこぼれだったので、何かの間違いであると思った。曖昧な返事しか出来ない私に、そのあともしつこく言い続けてきたkくんを見ていて、彼は私と違い心が強くしっかりとした軸のある人間だと思った。実は、彼も中学の頃は私と同じように学校では無口なキャラだったらしい。私の場合はキャラとかではないけれど。「ある時堪忍袋の緒が切れたように話せるようになった」と笑いながら話していた。私の少し前を歩きながら、ちょくちょくこちらを振り向き、生存確認をしてくる様子から、私を1人の人間として認識してくれているのが伝わり嬉しくなった。しかし私自身、自意識過剰にも、学校では地味で無口というイメージが浸透しているという思い込みが激しく、「このイメージを崩してよいのか」「彼に変なストレスを与えるのではないか」と、彼に心を開く気にはなれず、無言を貫くことしか出来なかった。駅に着いた時、唐突に「付き合ってくれないと帰さない」と冗談交じりに言われた。私は誰かと長時間一緒にいるということに慣れていなかったせいか、心身の緊張が限界に近づいていた。この緊張から一刻も早く解放されたかったので、私は現実を受け止められないままkくんと付き合うことになった。それまでは同級生達が集団で楽しそうに帰る中を毎日一人で帰っていたが、kくんがたまに一緒に返ってくれるのは新鮮だった。学校帰りに小規模な動物園に連れて行って貰ったこともある。しかしどうしても「誰かからみた自分」という存在ばかりが気になって仕方なかった。駅で仲良く手を繋ぎながら歩く他校の男女を見かけては、その幸福に満ちたオーラに打ちのめされた。それから私は「恋人がいる自分」という自意識を持つことに拒絶反応を起こし続けた。そんな馬鹿みたいな人間に、kくんはくだらないメールを画像付きで送ったり、電話をかけたりしてくれていたのだが、私は甘えることを拒み彼からのメールには殆ど返信せず電話も出なかった。結局一ヶ月後に「受験もあるしお互い重荷になるだけだから別れましょう」とメールが来て別れる形になった。その時の「分かりました」という返事だけは無意識に早く送ってしまったことから、私は本当に恋愛などやる気が無かったんだなと思う。人生に絶望しかけて、自分の感情や外界からの刺激を遮断するクセが強くなっていた時期と重なっていたのもあったと思う。本気だったkくんに対して非常に申し訳ないことをしたなぁと思いつつ、今では何も無かったことにしてる。

結局、卒業式の日にクラスの人が友達と最後の言葉を交わしたり写真を撮ったりする中、一人でその場から逃げるように帰ろうとした私に「さようなら」とひとこと話しかけてくれたのもkくんだけだった。

常に私の視界は平面的で、孤独感は拭えない。人間に無関心な自分といても、多分誰も幸せになれない。そういう自意識に目覚めてしまってから同性にも異性にも無関心になっていった気がする。もはや邪念と卑屈に塗れてしまい純粋な心というものが分からなくなってしまった。恋心というものを頭で考え始めてしまったら終わりなんだなと。

そういえば最近「サピオセクシャル」っていう概念を知ったのですが、どちらかと言えば今はこれに近い気がしてます。これについては…特に書きません。

 

 

 

 

 

 

 

 

秋風索莫

秋風索寞(しゅうふうさくばく)

「夏が過ぎ、秋の物寂しい風が吹く」という意味らしい。これからはブログのタイトルに悩んだら、今の気分に相応しい四字熟語にしようと思ってこんなタイトルにしてみた。

この間まで、まだまだ暑苦しい日々が続くなぁと思っていたが、いつの間にか風が冷たく感じるようになってた。日中は過ごしやすいといえば過ごしやすいが今はちょっと寒い。また暑くなるかもしれないけれど。

昨日今日とバイトがなかったので、気怠い気持ちでアラームをセットすることも無くマイペースに過ごせたと思う。

昨日の記事に「イッツァスモールワールド」の歌詞を貼り付けてみた。最近、この曲を聞いてテンションを上げることが多い。特に好きなのはテンポが速めのダンスミュージック(パリピが好むようなやつだが)で、聴いてると頭からドーパミンがドパドパ出ている感じになって終始気分が良い(薬を飲まずとも)

それが関係あるのかわからないが久々にブログを書こうという気になったので今こうして書くことが出来てる。別に何も書きたいことは無いのだが。とりあえず今は脳がストレスに対して鈍感になってくれてるのが有難いってことくらい。

今日はお昼ご飯でも買いにマックへ行こうと思ってた。しかし天気のいい平日の昼に、地元の店へ立ち寄るには勇気が足りず、家にある物で済ませた。

それで気分が沈んできたので久々に一人映画をしようと思った。

買うだけ買って一度も着ていなかった夏用のシャツを着たあと、こないだパンクして修理してもらった自転車でシネコンに向かった。自転車の有難みを感じたりした。駐輪場はいっぱいだったけどなんとか入れた。

去年仕事で嫌なことがあった日に、気分転換をしに帰りの電車を途中で降りて寄り道したなぁと、初めて一人映画をした日を思い出しながら機械でチケットを購入した。そして通路側の隅っこの席でカルピス飲みながら観てた。隣の席は空いてて、その隣に若い男の子3人くらいがお喋りしながら座ってきた。「途中で寝ちゃうかもしれない~」とか楽しそうに話してた。新鮮でなんかいいなぁと思った。

今日観たのは、小説が映画化された『君の膵臓をたべたい』という映画。生きるということがテーマになっていて少し気になっていた。青春ものだから自分には縁がない話だと思いながらも、暗い性格の主人公には共感できるところが沢山あった。正直『君の名は。』よりもわかり易かった。自分みたいな捻くれ者でも青春とか恋愛とかと縁のある人間を羨望の眼差しでみてしまうのはこういう作品があるからだと思う。

で、見終わって併設されてる服屋でちょっと秋物の服を見ていた(あまりにもお洒落な服ばかりで買う気にはなれなかったが)

その時も近くに二人の可愛い女子高生がいて、服よりもそっちの方が気になってしまった。

他人の人生を羨むばかりでなく、もう少し自分の人生をしっかり生きなければならないのかも知れない。そんなことしんどいだけなのでしないけれど。時間は待ってくれないんだなと思った。

精神年齢が小学生と同じくらい(もしくはそれ以下)という自覚症状があるのでそろそろ年齢に相応しい考え方ができるようになりたいと思った日だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

It's a small world

It's a world of laughter, a world of tears
It's a world of hopes and a world of fears
There's so much that we share that it's time we're aware
It's a small world after all
It's a small world after all
It's a small world after all
It's a small world after all
It's a small, small world
There is just one moon and one golden sun
And a smile means friendship to everyone
Though the mountains divide
And the oceans are wide
It's a small world after all
It's a small world after all
It's a small world after all
It's a small world after all
It's a small, small world
It's a small world after all
It's a small world after all
It's a small world after all
It's a small world after all
 

初めて行った精神科

今年の春頃に某メンタルクリニックに行ったことを少し後悔している。

ずっと昔からある、この説明しがたい精神的な厄介事についてはリアルの人間には誰にも話してない。もちろん親なんかにも言わず、こういう名前の診療所に人生で初めて行った。

今まで行くのを躊躇っていたのは、本当に長い間自分自身で解決できなかったものが他人の知識で解決してもらえるのかという疑問からだった(他人と言っても専門家なので、一応雰囲気だけでも見てみたいと思って気になってはいた)

その反面、今まで自分の中で解決できなかったモヤモヤの正体がはっきりするのではないかという期待もあった。

結論からいってしまえば、何も解決しなかった。

自分がプライドだけが高い無能だってことは明白な事実だか、自分が無能であるからこそ必要以上に他人に期待してしまう。最悪な人種だ。

とりあえずそのクリニックでの記憶を書く。あんまり良い内容じゃないと思うから見なくてもいい。

 

まず、精神科医の言っていたことは、誰にでもいえることであり、私個人へのアドバイスじゃなかったなと思う。

初診の時、私の身の回りの人間関係や、過去の暗い話などを沢山聞いてもらった。(主に緘黙の話)

私自身、自分の状況を整理していた(自分の状態をはっきり説明できるようにメモに書いて持っていき見てもらった)から医者側も楽だっただろう。

初めは自分の状態について色々と質問してくれた。

そこで以下のような内容の話をした。

・・・対人恐怖について。昔は初対面の人にも話せなかった。電話にでることも苦手だった。しかし時間をかけて出だしのテンプレを覚え、現在では電話に出られるようになった。流石に想定外のことを言われたら言葉に詰まってしまうが。

家族について。家族は昔から特別仲が悪い訳では無い。と思う。最近は少し崩壊しかけていて時には崩壊するが。唯一本音を声に出して話せる、良くも悪くも相手の捉え方などを考えずにエゴをぶつけられるのも家族のみ。

緘黙について。小学校後半〜中学高校は特に緘黙が酷かった。学校という空間にいるだけで身体が固まった。ひたすら人の視線に振り回されていた。感情表現、特に人前で笑うことや泣くことは怖くてできなかった。

高校選びは、大抵の人は地元の、学力にあった場所を選ぶと思うが、私は知り合いがいなさそうな場所を選んだ。当時は自分なりに必死だったのかもしれない。結局ダメだったけど。

入学後の部活動(吹奏楽)では表現をする機会が少しあったが、自分はやっとの事で表現をすることが出来ていた。でも正直追い詰められていたからだと思う。勉強も部活も人間関係も思い通りにならず、期待外れの地獄な3年間であった。

ただ感情を押し殺して耐えるだけの学校生活に慣れてしまい、これが自分の中の普通であったため緘黙の継続期間の長さに吃驚された時は複雑な気持ちになった。

大学に進学すると、似たようなタイプの子がたまたま近くにいて、会話をすることが出来た。少しずつ緘黙の症状も緩和していって、人と話すことに抵抗を感じなくなっていった。その安心感から自分にも自信がついて、卒業研究発表を全学生の前で話すこともこなせた。

しかし社会人になって、職場では、研修の段階で失敗を繰り返し、悪いイメージがついてしまったと思い込んだ。大学生活の2年間で少しは取り戻した自信を全てなくし、勝手に心が折れ、再び変な悪魔に取り憑かれるようになり、咄嗟に言葉が出ないことが多かった。

初めのうちは自分のミスは認め、謝ることが出来ていたが、いつしか自分が周りから「謝罪するロボット」のように見られているのではないかという不安が生まれ、謝ることすら苦しくなった。

否定的な思い込みが激しくなった。

それから色々と上手くいかないことが続いた。・・・

 

などなど、思い出せる限り話せることを話した。

思い出してる途中で何度か涙が溢れてしまった。その医者とは初対面だったせいか、初診では割と気を張らずに話せた。

しかし結局医者は私の話を聞くだけで、私が一体全体どういう状態なのか教えてくれなかった。私が求めていたものとは何か違う気がした。

「被害妄想が激しくて困っている。例えば職場で、陰口を言われている気がする」

といえば、医者は

「被害妄想はそんなものではない。本当の被害妄想の患者は、例えば『テレビのアナウンサーが自分の悪口を言っているんです。』と真面目な顔で言い切る。」と、半笑いで言った。

「もしかしたら自分は発達障害ではないかと思っている」と伝えると、「発達障害の人は貴方のように落ち着いて人と話せない人達だ。こういうところ(診察室)をフラフラと歩き回ったりするものだ」などと言った。極端すぎるだろ。と思ったが、そうですか。と流してしまった。

最終的に、「異常はない」というようなことを言われた。しかしそれを押し付けられたようにも感じてしまった。

「とりあえず、薬を出す」と言われ薬を貰った。

家に帰り薬を飲むと少し気分が和らいだが、時間が経てば効果が切れる。

相談室では「認知行動療法」というのを教えて貰った。簡単にいうと、ネガティブに偏ってしまっている自分の物の見方や考え方の根本を意識的に変えていくというトレーニング。

意識的に自分のネガティブ思考に気づき、それを紙に書き出し「どう考え直せば自分が楽か」を考えるという宿題が出た。

やってみて分かったことは、他人の自分に対する言動を全て悪い方向に捉えてしまっている事だった。事実がどうであれ、それを自分なりに都合よく考えていく癖をつけることでメンタルにもほんの少しずつ良い効果が出てくるらしい。

中々効果が出ないのと、自分は地道にコツコツとやるのが苦手なので非常に疲れ、正直途中で面倒臭くなって放棄し、テキトーにそれっぽく書いて提出するようになった。

薬に関しても特に大きな効果というのは感じられず、食欲が無くなったり、なんとなくぼーっとして夕飯前に寝てしまうなど生活リズムが乱れたりした。

毎週通うたびに薬と宿題を出されては、自分の中のモヤモヤが膨らんでいくだけだった。

数回通った時には、なにか違うなと思ってしまった。

私にとって、わざわざ都内の精神科に行くために電車に乗ることや、その医者から与えられた、毎日薬を飲んだり、考え方のトレーニングと称されたプリント式の宿題をしたりすることが、まるでさらに仕事を増やされたかのように億劫に感じ、二ヶ月ほどで通うのをやめた。

約20年間生きていて、自分なりに頑張って苦手なことを克服したことも少しはある。その結果、やっとの事で「普通」という地点に届く自分にとっては、現在の「頑張って得た普通」の状態よりも、それまでの頑張りを見て判断して欲しかったのかもしれない。今の状態だけを見て評価されたのなら悔しくて仕方ない。

それでも恐らく甘ったれの私は『診断名』が欲しかったのだろう。一昔前の私は、自分が異常であることを認めたがらなかった。しかし努力では他人のようになれないと知ってから、自分に異常がないのはおかしいとまで思って過ごしていた。もし医者に「貴方は異常です」とはっきり言ってもらえれば、今の自分なら少しは納得出来ていたと思う。客観的に見た自分の像が他人と重なるという安心感を少しても得てみたかった。そしてこれからはもうそれに縋って生きていけると甘えていたのかもしれない。しかし今回の、「可もなく不可もなし」みたいな曖昧な結果、現状維持と向上心を遠回しに強いられるような結果によって自分の存在に増々自信がなくなった。帰宅してからも一瞬も落ち着けなかった。

無論、あの場で医者に話したことは全体の数パーセントくらいで、ここに書いたこともそう。全てを伝えることは不可能に近いから、少しくらい誤解をされてしまうのは仕方が無いと思ってる。

とりあえず、今いる自分の位置を確認したかった。平均だろうがそれ以下だろうが、自分と言う人間の居場所が欲しかった。これからの努力が報われるかどうかだけでも知りたかった。使い方が分からないままエネルギーをドブに捨て続けていいのか、そもそもそんなものが存在したのかだけでも。結局何も分からなかった。きっとこれからも分からないままだ。こうなってしまうと「お前はもう変わる努力をしないのか」と責められそうだが、正直今は「変わる変わらない」以前にそれをする気力がないのだ。「普通の人間」が学生時代に経験するような出来事を経験出来ず「普通の人間」に至らなかった、傍からみればただ可哀想なだけの自分の人生を語って、何か病名を寄越せというのも図々しい話だが。そこの精神科医が障害とか病気を否定的に見ているように感じてしまった。無論、障害とか病気なんて、そんなの無い方が本人は楽だけど。

別にその医者を批判したい訳では無いが、ただ私が少しモヤモヤしたというだけの事。