沈黙

死神に取り憑かれた何か

夜郎自大

幼少期、ここは平面世界で、私の目に映る人間には魂というものが入っておらず、全部が私の知覚的な幻想のようで、私以外の生き物は、きっと意識も感情ももたない、ただ動くだけのゾンビなんだと思っていた。特に私と全く異なる境遇にいるゾンビは、私を惑わすために存在する悪魔に見えた。時には家族ですらそのように見えた。私の意識、経験が全てで、私は私一人だけ特別な人間だと思っていた。プレイヤーが幼い頃は、このゲームを私なりに楽しめた。

行ったことのない場所で起きた交通事故のニュースを見たり、遠くで吠える犬の鳴き声を聞く度、「これらは全部私のために起こっている」と信じて疑わなかった。近所のよく食べに行っていた飲食店が潰れた時も、きっとここで働いていた従業員や他の客は誰一人困らない、ショックを受けるのはいつも私だけだと思っていた。

小1の秋、庭の木陰でカマキリが交尾をしているのを見た。触覚を動かし何かコミュニケーションをとった後、雄が雌の上に乗り、雌が体を揺らしながらお腹を動かしていた。私はその静かなやりとりに終始見蕩れていた。すると雄がそのお腹を後脚で叩くような仕草をしていた。その様子を見て、「これは雌に'頑張れ'といって励ましているんだね」と私の解釈を近くにいた父親に話した。父親はそんな私を「よく知ってるね」と褒めた。

大人向けのクイズ番組を見ていて、勘で答えた問題がたまたま正解した時も、異常なほど褒められた。

祖父も、私が描いたそれほど似ていない何かのアニメキャラクターの絵を「とても上手い」と褒めてくれた。幼稚園で痛い目に遭うことが多かったため、私は祖父とのごっこ遊びでストレスを解消していた。それでも祖父は私の行動を何一つ否定しなかった。

小学校低学年くらいだったと思う。この世には天才と呼ばれる人間がいることを知った。天才は何もしなくても褒められる人間だと勝手に思っていた私は、「私はきっと天才だ」と決めつけ、驕り高ぶっていた。

学習面では周りよりも九九を覚えるのが早かったり、他のクラスメイトよりも昆虫の名前を少し知っていたりした。大して力を入れなかった硬筆や、テキトーに描いた絵が表彰された時も、私は運がよい、何をしても成功する、"才能"があると過信していた。

それを恨む人間が現れても、クラスメイトに痛いことをされても、親にその旨を連絡帳に書いてもらい、担任に提出すれば、担任が彼女達を上手に叱ってくれ、彼女達はへこたれてこちらに謝りに来るので、私が勝たない勝負はないと、私の心が傷つくことは少なかった。クラスメイトにつけられた手の傷を家族に見せながら「これは敗者の嫉妬なんだ」と自慢した。

勉強面でもあまり苦労を知らずに中学までは突破できた。時に周囲を見渡して劣等感を感じたり、クラスメイトに馬鹿にされたりすることがあっても、私は今、悲劇のヒロインを演じる時なんだと信じることでメンタルを保っていたのかもしれない。

最近になって、これは幼い頃に受けた小さい甘やかしから派生した誤解だったのではと思う。心のどこかで"自分"は欠陥品なのではないかと疑っていたため、自分に良くしてくれる人達の存在に踊らされて取り返しのつかないほど調子に乗ってしまったのだろうか。

思春期を過ぎ、高校に進学すると、自分よりも褒められている人間が沢山いるのを見た。自分が幼き頃から思い描いていた未来は訪れること無く、初めて自分の人生の闇が始まったような感覚に陥った。それからは自分の存在意義ばかり考えるようになった。自分の軸を探すようになった。数字にしか興味がなくなった。もしかすると"私"の今までの意識は間違だったのではないか、"この世には私しか生きていない説"は幻想であったのだろうかと考えるようになった。井の中の蛙とは私のことだと思った。この頃から、自虐の快感を覚えた。私は堕落した。

今、実際にどこかで誰かが、ちゃんと交通事故で痛い目にあったり、職場が潰れてショックを受けたり、犬に吠えられたりしているのだろうか?恥ずかしながら今でも「他我」というものを意識することは珍しい。しかし、自分の精神衛生のためには、そろそろこの呪いから解かれた方がよさそうだ。